二年生後期の内申点!オール5も夢じゃない!
二年生後期の内申点は、なんと44!!
苦手な保健体育が4であとは全て5でした!!!
前回4だった音楽の定期テストの点を上げ、歌のテストも頑張りました。
歌のテストとは、課題曲をクラスメイトと先生の前で1人で歌うというものです。声の大きさ、強弱、感情の入れ方など様々な項目があり、1番大変なものが「歌の表現」という項目です。
これは身体の表現と言い換えても良いと思います。
歌うとき、人は前後に揺れたりするものです。それを求められるのです。思春期の彼らにそれを求めるのは酷だと感じるのですが😢
でも、毎年合唱コンクールが開催されるので、その時期に伴い子供達の意識も少しずつ変わっていくようです。
内申点を求める生徒、合唱コンクールの入賞を求める生徒は総じて頑張る構図ができてきます。もちろん担任の先生が頑張ることは素晴らしいとお教え下さった成果かもしれません。その結果で上の子は5を取ることができたのかもしれません。
また、ずっと4だった社会までも5に上がりました。もちろん地道な努力を要する社会に上の子も時間を割き、本人も頑張りました。
しかし、定期テストの結果も4か5か?と悩ましい点数でした。
その他の提出物についてはA○
そしてなんと、日本の人権についての社会の作文が、県内の銅賞に輝きました。
この作文の内容については、本人の思いが強く、離婚してしまった夫婦の子供の人権について述べられたものでした。
アメリカと日本の離婚した夫婦の子供の現状の違いについても調べたり、日本における母親優先の現状をなげいていました。
日本もアメリカのように共同親権となるよう、離婚したとしても両方の親と関わり育まれる環境が整うようにと願いを込めました。
そして、片親に会えない子供の辛さを想像し、心を痛めていました。
そんな中での銅賞受賞。これ無くしては内申点5は望めなかったと思いますが、彼女の書いた文章は世の中の離婚をする夫婦に一読して欲しいと思える内容だったと感じています。
二年生前期の内申点
二年生になりクラス替えがありました。
上の子の担任は長身イケメン、ダンス堪能の英語の先生。私も少しテンションが上がりました!
中学校時代、学区トップの公立校を仲良しグループと目指し、彼だけ不合格で私立に行った経験を持つ担任。
自分の失敗を話してくれて、先生になる前に沢山の経験を積んできた経歴についても話してくれる担任は、子供達からの信頼感は抜群のようでした。
三者面談でもニコニコ。イケテナイ娘の返答にも優しくあわせてくれて、、、。とても素敵な対応でした。
しかし!彼はイケメンだけではなかった!!「ここを頑張ればこの教科は5になる!ここを落としたらすぐに3になるよ。気をつけて!!」と丁寧に説明してくれました。
内申点はまたまた変わらず42。変わったことと言えば、テストの点が落ちた音楽が5→4、テストの点を中間も期末も90点以上とった理科が4→5。
理科が5!!!5教科で5ではないのは社会だけと期待を持つ母娘でした。
一年生後期の内申点
一年生はじめての内申点が42点だった上の子。
最初の子供の印象はこんなに簡単に5が取れるの??ということでした。そんなに頑張ったつもりはないのに、、
、です!!!!!
後期も変わらず42。全く前期と変わらずの内容でした。
もちろん初めての夏休みの宿題は、どこまで質を上げたら良いのか分からず苦しみ泣くこともありました。上の子の場合、なんの事前情報もないので気の毒にも感じました。
しかし、学校の授業に集中すること、宿題を丁寧にこなすこと、小テストのミスをなくすこと、定期テストの前に教科書の音読と通信教材の問題を解くこと。
これ以外にやるべき特別なことは思いつきませんでした。
好きな漫画やアニメも見放題、部活もきちんと参加。お友達と遊びにも行っていました。
でも問題のない成績だったので、先生も本人もこのペースでやっていきましょうと意気投合していました。
そして、「今回4だった教科、次回5にする!!」とやる気に燃える上の子でした。
反面教師の父の子育て〜続き〜
私の幼い時の夢はアイドルでした。
音楽番組で可愛い服を着て歌うアイドルに憧れました。
ある日父に「私、アイドルになりたい」と言いました。
すると父はなんと言ったと思いますか?
苦い顔をしながら、「アイドルになってテレビに出て人気が出るほどの才能が自分にあると思うのか?」と聞いてきたのです!小学校低学年の子供に大真面目に!!!!!
私は「あ、ない」と答えました。
すると、「そうだろう。アイドルなんかよりもっと医者や弁護士とか勉強をして努力をしてなれるものになった方が良い」と父は言いました。
私は『パパありがとう。私にアイドルの才能がないことを教えてくれて』と心の中で素直に思ったことを強く記憶しています。
それからは、大好きだったアイドルも色あせ、得意だったお絵描きにものめり込むこともありませんでした。
父が教えたかった努力の部分は全く心に残らず、才能がないという言葉が心に残りました。
ただ、父は私をとても可愛がってくれました。兄やすぐ上の姉がズルいと思うくらい、遊んでくれて抱っこしてくれて沢山のわがままも聞いてくれました。
だから、才能がなくて何もできなくても愛されているという自己肯定感だけは育まれたように思います。
その後、私は割とよく出来た勉強にも身が入らずにわからないものはわからないまま。部活を途中でやめたり、将来の夢を持つこともありませんでした。趣味を深めるとか、得意なものを極める、やり遂げるというような経験をせずに大人になりました。
誰とでも仲良くできることだけが唯一の取り柄でした。
就職してから、周りの友人たちと比べて自分は努力をしたエピソードを何も持っていないことに気づきました。
飽きっぽく何かに深い興味を感じることもなかったように思います。
そこからは目の前にあるものだけは一生懸命頑張ろう!と思い、仕事は真面目に頑張りました。
今は主人と出会い、子供にも恵まれ、良い仲間とパートの仕事も楽しみ、充実した日々を過ごしています。
でも、本来なら自分の興味のあるものに没頭したり努力して切磋琢磨していたであろう大事な時期が、ぽっかり穴があいている印象が拭えません。
子供を産んでから、父のあの言葉がキッカケとなっていることに気がつきました。もちろん元々、怠け者のぐうたら人間なのも大いに関係していると思いますが🤣
そして、我が子もかつての私のように「アイドルになりたい!」と言ってきました。
「いいね!!それならまず、ダンスと歌を練習したり、習ったりしよう!」「姿勢を正しくしたり、日焼け止めをきちんと塗ったり、何か特技があるのも良いと思うよ!応援する!」「海外で活躍したいなら語学も頑張ろう。今の習い事をやめたらすぐにダンスを習おう」と私は答えました。本当は私が父に言って欲しかった言葉です。
我が子はその後アイドル以外にも沢山夢ができ、夢中で趣味に没頭したり、得意なものを増やしています。
やはり父の子育ては真似したくないなーとしみじみ思います。笑
反面教師の父の子育て
私の父は勉強第一主義。
勉強ができなければ、好きな事をすることを全く応援してくれませんでした。
父はいわゆる高学歴で博士号を持ち、一流企業のエリートでした。努力が大好きで、遊びは良い大学に入ってから、仕事を始めてからするものという古い考えの頑固な人間でした。
私は末っ子だったので、どちらかといえば放っておかれ、うるさい事は言われず可愛いがってもらっていたので父が大好きでした。
でも兄は違いました。
小さい頃から勉強しろ!と厳しく言われ育ちました。オセロや将棋、ボードゲームなども父は兄とだけは本気で戦い、兄はいつも負けていました。
兄はよく勉強ができました。でも兄がテストで良い点を取っても褒められることはありません。当然という対応でした。
髪型も服装も兄の好みはことごとく否定されていたように思います。
中学受験も半ば強制的に、父の望む学校を受けましたが、残念ながら不合格。
公立の中学に進んだ兄は、陸上部に入るも、勉強を強要してくる父に反抗し、全てにヤル気をなくしすぐに退部。
その後、ギターをやりたくてバンドを組んだ兄に、ギターなんかより勉強しろ!とまたも父は言い放ち、その頃から父子関係は最悪に。
その頃の兄は、内申点も模試の結果も良く、地域のトップ校に入れるレベルでした。
しかし、中学3年の一番大切な時期の内申点をなんと10点も落としたそうです。兄の反抗心はおさまらず、結局、兄は地域の二番手校に入り、そこでどっぷりギターと夜遊びに明け暮れました。
その後は高校を退学したり、大検を受けて受かるも大学に行く意味を見出せず、大学も中退。
私たち妹が就職する頃までフラフラ過ごしていました。
元々頭の良かった兄は、その後、就職し専門職につき、高卒という学歴とは関係なく要職を任されています。
父は兄を愛していたのだと思いますが、愛情は兄には伝わっていなかったと思います。
父子関係が悪くなると、母子関係も不安定なものになりました。
それでも、兄は優しく正しい人間になりました。
人望も厚く、仕事でも信頼されています。趣味や特技も沢山あり魅力的な人でもちろん女性にももてていました。でも、根本では自分に自信がないそうです。
私は子供が生まれた時、父は好きだけど、父のような子育ては絶対にしないと心に誓いました。
我が子の得意を伸ばす
勉強が楽しいと自ら進んで取り組む子
我が子たちがこうなった、もっとも大きな原動力は「得意なものがあること」に尽きます。
得意なものは何でも良いのです。例えば、走るのが早い、スポーツ万能、英語が堪能、絵が上手、昆虫博士、料理上手など。
何でも良いけれど、これが好き!これなら負けない!と本人が思えるレベルまで才能を伸ばせるよう応援してあげることが大切だと思います。
好きこそ物の上手なれ
本当にこの通りだと思います。
我が子は絵を描くことが好き!という子供だったので、お絵かきノートをあげると大喜びしていました。
幼児の頃は、公園で大きな紙に絵を描くイベントに連れて行ったり、窓ガラスに好きにお絵かきができる施設に遊びに行ったりしました。
自分の絵のオリジナル缶バッジを作る機会を持ったり、写生に行ったりもしました。
小学生になってからは、学校の図工の時間の絵や工作を先生に褒めてもらえることが増えました。そして、絵画コンクールに出品され表彰されるように。
小学校高学年になると、図工の時間は先生の代わりにお友達に教えるよう先生にお願いされました。
また、修学旅行や運動会のしおりの表紙は毎回選ばれ、「また〇〇だー」と言われたり、「また〇〇が選ばれるでしょー」と言われるように。
中学生になると、生徒会誌のクラスページや行事のシンボルマークのデザインをクラスメイトに頼まれるようになりました。
「絵といえば〇〇さん」という印象がお友達からも先生からも持ってもらえ、それが大きな自信に繋がり、更に絵を描くことにのめり込み、技術もあげています。
好きなものに思う存分向き合っていることを、両親が応援してくれてるという安心感や満足感があると、勉強なんてどうでもいいやー!という風になることは少ないと思います。
先生に「〇〇さんは得意なことを活かしてクラスを引っ張ってくれてます。クラスメイトも一目置いています」と言われると、他の事も何でも頑張ろう!とやる気が湧いてくるようです。
自分は夢中でやれば何でもできる!という前向きな気持ちを持てたのかもしれません。
その結果か、我が家の子どもたちは勉強が楽しいと自ら進んで取り組む子になりました。
これらは、私の父が子育てをする姿から学んだことです。父の子育てはまたの機会にご紹介したいと思います。
塾なしの方が内申点はとれる?
塾なしで内申点を取る方法。
それは、きちんと学校の課題を頑張っているかどうかです。
塾なしの方が時間に余裕がある。
だから学校の宿題や課題に丁寧に向き合える。早めに就寝するので、授業中は集中できる。
塾に行ってなければ、学校だけが唯一の学びの場なので、自ずと集中できると思います。
塾に通わない方が、内申点アップのためには良いことばかりです。
我が家で気をつけていることは、、、
実技教科の課題のプリントなどは丁寧に書きます。
数学などの問題集は、間違えても構わないので間違えた事がわかるようにバツをしてきちんと解き直しを色ペンでします。
それぞれのノートも自分以外の人が見ても読める字で書きます。いつ提出を求められても良い状態にしておきます。
ここでA プラスを貰えていると、定期テストで多少ミスをしても日頃の行いを見てもらえます。
娘は体育が苦手です。授業で行なった実技の種目について、自分でまとめて提出するプリントが毎回あります。
このプリントだけは、「何を書けば良いかわからない」と弱音を吐きました。
「体育が苦手だからこそ、その種目で始めは出来なかった事や自分の後ろ向きだった気持ちを書いて、その後に出来るようになるために何をしたか、最後に出来るようになった事と前向きになった気持ちを書くと良いよ」とアドバイスしました。
先生や学校は何でも出来る子なんて望んでいないと思います。
苦手なものとどう向き合っているか、努力しているかを見ているのだと思います。
だから、内申点を取るために先生のご機嫌とりなど一切必要ないと思います。
もし我が家が塾に行かせるならば、受験に必要な内申点が全て出た後、三年生の秋頃かなと思います。
本人の気持ちを大切にしたいので、通うことはきっとありませんが。